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籠よみ籠もち:万葉集巻頭歌の英訳 

籠もよ み籠もち 掘串もよ み掘串もち
この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ
しきなべて われこそ 座せ
われこそは 告らめ 家をも名をも

こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち
このおかに なつますこ いえきかな なのらさね
そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ
しきなべて われこそませ
われこそは のらめ いえをも なをも

英訳(Translation: (c)Y. Natsuno)

The first poem in "Ten Thousand Leaves"

O Maiden, with a basket, a pretty little basket,
Carrying a trowel, a pretty little trowel,
Gathering spring herbs on this hillside,
I wish to ask thee where thy house is.
Wilt thou tell me thy name.
The Land of Yamato under this vast sky
Is entirely in my domain,
Where solely I reign.
I shall declare my name and my house.

- Emperor Yuryaku


【鑑賞】
この歌は万葉集の巻頭を飾る歌で、雄略天皇御製といわれます。雄略天皇は五世紀後半の天皇です。この時代の歌ですから御製というのも言い伝えで、むしろ民謡のようなものであったと考えられています。

歌の前半は、春の菜を摘んでいる若い娘への求愛の呼びかけです。名前や家をきくことはすなわち求愛ということなのです。春らしい風景の中での素朴な古代の求愛の様子がのびやかに歌われています。後半は一転して、権力者としての自信と誇りを謳いあげた気宇壮大な歌となります。現代人から見れば、「そらみつ大和の国」といっても、ちっぽけな場所でしかないのですが、当時の人々からすれば「そらみつ大和の国」は広大な土地であり、それを治めるということは、「おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ」と謳いあげたくなるほどの誇りを伴うものだったのでしょう。現代人からみるとなんだか微笑ましい気もしますね。

この春らしい明るいのびやかな光景と後半の雄大さ、口ずさみやすいリズムなど、万葉集の巻頭を飾るにふさわしい名歌だと思います。

【日・英単語解説】

「掘串」:菜を摘むための小さなへら(シャベル)のようなもの。”A shovel”は、長柄のものを指すのでここにはふさわしくないため、”a trowel”(園芸用の移植ごて)を使いました。

「み」:掘串や籠の前についている「み」は、原文で「美」とあるように、美しい、かわいらしいといった意味の美辞接頭語です。ここではリズムを考えて”pretty little”と訳しました。

"thou, thy, thee" :"you あなた, your あなたの, you あなたに"の古語。

"wilt": "will"の古語。なお、"Would"の古語は"wouldst"。 "wilt"や"wouldst"の使用例を「ロミオとジュリエット」のバルコニーシーンから。

Romeo :"O wilt thou leave me so unsatisfied?" ~中略~
Romeo: "Wouldst thou withdraw it? For what purpose, love?"

「そらみつ」:「大和」の枕詞です。饒速命が天の磐船に乗って空から見られたことに拠る(「空より見つ」)という説と、「空に満つ」の意という説があります(「万葉秀歌(一)」久松潜一 講談社学術文庫)。ここでは「空の下」のといった感じで曖昧に訳しましたが、”vast”を入れて広大な感じを入れてみました。

リズム:全体として、素直な4拍子になるようにしてみました。ときどきちょっと破調になりますが、原文も必ずしも単一のリズムではないので、それでもよいのではないかと思っています。

【原文】
泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇
(はつせのあさくらのみやに あめのしたしらしめしし すめらみことのみよ おおはつせわかたけのすめらみこと)

籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持 
此岳爾 菜採須児 家吉閑 名告紗根
虚見津 山跡乃国者 押奈戸手 吾許曾居
師吉名倍手 吾己曾座
我許背歯告目 家呼毛名雄母


関連カテゴリー:|英詩と和歌|

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万葉集英訳:磐姫皇后御作四首 

前回ご紹介した磐姫皇后の「秋の田の」の歌は、皇后が仁徳天皇を思って作られたという四首の中の最後の歌です。では四首続けてご紹介します。

磐姫皇后天皇を思ひよみませる御作歌四首〔巻2-85~88〕

君が行きけ長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ

かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを

在りつつも君をば待たむ打ちなびくわが黒髪に霜の置くまでに

秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いづへの方にわが恋やまむ

(Manyo-Shu Vol.2-85,86,87,88)
Four poems by the Empress Iwanohime; Longing for the Emperor Nintoku

It has been many days since my Lord left
Shall I go to seek him beyond the mountains
Or shall I just wait and wait for him here?

Instead of staying here yearning for thee,
I’d rather die, with a crag as my pillow
Up in the mountain with lofty peaks.

I will just stay here waiting for thee,
Until frost falls on my trailing black hair.

Over ears of rice in the autumn field
Lingering is the morning mist;
Are there limits to my love somewhere?

試訳Y.Natsuno (c)。基本リズムとして4拍子を感じてもらえるとうれしいです。


(歌意)
〔巻2-85〕あの方がお出かけになってから何日も経ってしまった。山をたずねてお迎えに行こうかしら、それともお待ちしようか。
〔巻2-86〕このように恋い焦がれてばかりいるよりは、いっそ高い山の磐を枕にして死んでしまいたい。
〔巻2-87〕このままであなたをお待ちしましょう。私の長い黒髪に霜が降りるまで。
〔巻2-88〕秋の田の穂の上に朝霧が漂ってあたり一面霞んでいる。私の恋はどこかに果てがあるのかしら。
(別解釈:「秋の田の穂の上にかかっている朝霧がいずれは消えるように、私の恋もどこかに消え行くことがあるのかしら」)。


古事記では、仁徳天皇が、黒日売(くろひめ)を恋われて磐姫皇后に隠れて淡路島に行かれたことが書かれており、また磐姫皇后が不在のときに八田若郎女に逢われたともあります。これらの歌は、このように天皇が他の女性に会いに出かけられたときに歌われたとの想定でしょう。

最初の歌は、何日も待ち続け、迎えにいこうかそれとも待つべきかと悩む心持が、そして次の歌は、もう居てもたってもいられず途中で死んでもいいから山を踏み分けてでも天皇に会いに行こうという必死の思いが歌われています。第三首は、一転して思い直し、やはり待っていようという思いが表されています。最後の歌は、こうして感情の起伏激しく何日も過ごしたために疲れ果て、朝霧を眺めながら自分の情念のあまりの深さにため息をついている歌のように思えます。

なお、第三首の「霜の置くまで」は「白髪になるまで」という解釈と、文字通り一晩中おきていて「霜が降りるまで」という解釈がありますが(「万葉の人びと」犬養孝)、四首の流れから私は後者を採ります。ときは秋、早朝には霜が降りるほど寒い中一晩中待ち続けて(第三首)、朝を迎え朝霧の中立ち尽くす磐姫(第四首)という流れで読めるからです。それに、「白髪になるまで」というやや非現実的な比喩表現より、霜の降りる中一晩中起きて待っている方が、現実的でかえって凄みがあるように思います。

これらの歌の作者ですが、「秋の田の」の歌が、仁徳天皇時代より後の時代の民謡であると見られているように、その他の三首も実際には磐姫の御作ではないといわれています。特に「君が行き」の歌は、允恭天皇御世の軽大郎女(衣通姫)作の類似歌「君が行日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」が元歌と言われています。

それでもこれら四首が磐姫皇后御作とされているのは、情熱的だとされた磐姫皇后の話にふさわしいと後世の人々が思ったからなのでしょう。そして、こうした歌から想起される磐姫皇后とは、「悪妻」といったイメージではなく、恋に悩み迷う女性のイメージであり、多くの人が共感し同情したからこそ、これらの美しい歌が磐姫皇后御作として伝えられてきたのではないでしょうか。


(原文)

磐姫皇后思天皇御作歌四首


〔巻2-85〕君之行 気長成奴 山多都禰 迎加将行 待爾可将待
〔巻2-86〕如此許 恋乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死者乎
〔巻2-87〕在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪爾 霜乃置万代日
〔巻2-88〕秋田之 穂上爾霧相 朝霞 何時辺乃方二 我恋将息


関連カテゴリー: | 英詩と和歌 |

秋の田の穂の上に霧ふ朝霞 

〔万葉集巻2-88〕

秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いづへの方にわが恋やまむ
(読み)あきのたのほのへにきらふあさがすみ いづへのかたにわがこひやまむ
(原文)秋田之 穂上爾霧相 朝霞 何時辺乃方二 我恋将息


試訳((c) Y.Natsuno)

Over ears of rice in the autumn field,
Lingering is the morning mist;
Are there limits to my love somewhere?

Over ears of rice in the autumn field,
Lingering and glistening is the morning mist;
I can’t see the boundaries
of the mist
or of my love


磐姫皇后について
この歌は、仁徳天皇の皇后磐姫皇后作として万葉集に載っていますが、実際にはそれより後の時代の民謡歌のようなものであろうという考えが一般的です。磐姫皇后は嫉妬深い皇后として「古事記」「日本書記」に描かれています。「古事記」には「足母阿賀迦邇嫉妬したまひき(あしもあがかにうはなりねたみしたまひき)」とあります。天皇が他の女人に目をかけると地団太を踏んで激しく嫉妬したということです。

こうした記述から磐姫皇后は悪妻の典型のように言われてきましたが、私には、天皇の一夫多妻が当然の時代にあってこのように激しく愛情を表した磐姫皇后は、きっと意志が強く情熱的な女性であったのだろうと思え、とても魅力を感じます。


歌の解釈について
この歌の解釈は二通りあります。
一つは、秋の田の穂の上に朝霞がかかっているが、その霞がいつかどこかへ消えるように、私の恋もいつかは消えるだろうか(そうは思えない)
(「万葉秀歌」斎藤茂吉、「万葉秀歌」久松潜一など)、

もう一つは、「秋の田の穂の上に霧がかかっている。果てしがない。私の心はそのように」「東も西も分からない。それがそのまま私の心ということ」(「万葉の人々」犬養孝)。

前者の解釈を採るなら、最後の3行はたとえば” Will my love ever fade away to somewhere?”といった訳が考えられます)。

冒頭の訳は後者の解釈を採りました。前者の解釈だと、一瞬霧が晴れる映像が目に浮かんでしまって、その後言外に晴れることが否定されても、一旦晴れ上がったイメージはどうしても残ってしまう。でも後者の解釈を採ると、先の見えないまさに「五里霧中」の不安感があります。ただし、単なる「五里霧中」ではなく、「秋の田の穂の上に霧ふ朝霞」という表現から想像されるように、黄金色の田の上に朝日を受けてきらきらと輝く霧であるために、不安はありながらその霧の中にずっといたいとも思えてしまう、そういう美しさがあると思います。

英訳について
上の句は比較的簡単にできましたが(ただ、冠詞と単数・複数形は悩んでいます)、下の句は苦吟しています。”Where is the end of my love”なども考えたのですが、うまく上の句とつながらない。とはいえあまり説明調にもしたくない。ということで、現状はちょっとつなぎ表現が入っています。


この歌は、磐姫皇后の歌として四首連続して掲載されている中の最後の一首です。次回、他の三首とつなげてご紹介します。


関連カテゴリー: | 英詩と和歌 |

英詩:クリスティナ・ロセッティ -"Song" 

Christina Rossettiの"Song"という詩をご紹介します。可憐ではかなげで、私がとても好きな詩です。

"Song"

When I am dead, my dearest,
Sing no sad songs for me;
Plant thou no roses at my head,
Nor shady cypress tree:
Be the green grass above me
With showers and dewdrops wet;
And if thou wilt, remember,
And if thou wilt, forget.

I shall not see the shadows,
I shall not feel the rain;
I shall not hear the nightingale
Sing on, as if in pain:
And dreaming through the twilight
That doth not rise nor set,
Haply I may remember,
And haply may forget.

- Christina Rossetti


(試訳 by (c) Y.Natsuno)

わたしが死んだら、愛しい人よ、
悲しみの歌を歌わないで。
薔薇も、陰なす糸杉の木も
わたしの上に植えないで。
ただ青い草をわが上に
雨と露とに濡れるがままに。
そうしてあなたの心のままに
わたしを思ってくれてもいいし、
わたしを忘れてくれてもいいの。

わたしは影を見ることも、
雨を感じることもなく、
夜鶯(やおう)の悲嘆にくれるがごとく
鳴き続けるのを聞くこともない。
明けもせず、暮れをもしない黄昏(たそがれ)に
ひたすら夢を見続ける。
思い出すかもしれないし、
忘れるかもしれません。


解説
thou = you
if thou wilt = if you will (よかったら、よろしかったらといった意味のとても軽い挿入語ですね。ここでは、調子をあわせるために「あなたの心のままに」としてみましたが、通常文では、ほとんど訳さなくてもいいくらいの挿入語だと思います)。
doth = does
haply = by chance, by luck
押韻 :2行目と4行目、6行目と8行目の行末がそれぞれ韻を踏んでいます。

作者について
クリスティーナ・ロセッティは、有名な画家・詩人ダンテ・ガブリエル・ロセッティの妹です。彼女自身、今でも広く愛される数多くの詩を残しています。"Song"というタイトルの詩も、上記だけではなくほかにも幾つかあります。彼女についてご興味ある方は、Wikipediaをどうぞ。

Wikipedia-Christina Rossetti


関連サイト
詩の原文は、以下から転載しました(p.67)。「グーテンベルグ・プロジェクト」といって、著作権の切れた英米文学を数多くe-bookとして紹介しています。最近ではものによっては音声もあるようですが、これについては見つかりませんでした。

http://www.gutenberg.org/files/19188/19188-h/19188-h.htm

また、下記の"Repeat After Us"というサイトでもいろいろな文学を紹介しております。こちらは、かなり音声(無料ポッドキャスト)があります。ぜひお好きな作家の作品を探してみて下さい。

http://www.repeatafterus.com/author.php?f=Christina&l=Rossetti




英詩:ブレイク「無垢の予兆」 

Auguries of Innocence

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.

20060720100824.jpg

無垢の予兆

一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも天国を見、
君の掌のうちに無限を
一時のうちに永遠を握る。










(訳:松島正一/写真(c)ivory

全132行から成る詩の最初の4行であると同時に、詩全体を現す4行でもあります。すてきだなと思ったのでご紹介しました。

全文はこちらのウエブサイトで見ることができます。
http://www.repeatafterus.com/title.php?i=1409
このサイトで紹介されている詩には、朗読ポッドキャストがついているものもあります(この詩には残念ながらついていませんが)。



photo
対訳 ブレイク詩集―イギリス詩人選〈4〉
ウィリアム ブレイク 松島 正一
岩波書店 2004-06

by G-Tools , 2006/07/20





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