スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画「ショコラ」 

久しぶりに映画「ショコラ」をみました。初めて見たときはあまり好きになれなかったのですが、今回みていいな、と思いました。見終えたあとちょっと幸せな気持ちになれる、大人のファンタジーです。

監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ、ジュディ・デンチ

【ストーリー紹介】

キリスト教の戒律を厳格に守り「禁欲」を旨とする村長が、人々の生活に目を光らせる、1950年代フランスのとある暗い村。北風と共に不思議な母娘が村にやってきます。

村人たちの好奇のまなざしにさらされながら、母(ジュリエット・ビノシュ)は、南米インディオの文化を思わせる不思議な内装のチョコレート専門店をひらきます。

「誘惑」に負けてはいけないという村長の厳命のもと、村人たちはチョコレート店を避け続けますが、彼女の不思議なチョコレートの味に少しずつ心を開く人々も現れます。

そんな中、川船で村から村へと渡り歩くジプシー風の一団が村に流れ着き、またまた村長の規律維持の情熱に火をつけます。不道徳な奴らをを村から追い出せ、とのキャンペーンがはられるているにも拘わらず、チョコレート店主は船長(ジョニー・デップ)に店の扉の修理を頼んだりして、ますます村長の怒りを買い、村人たちはまたも彼女を避けるようになります。

【感想】
ちょっとおしゃれな大人のファンタジー。現実とは思えないような不思議な雰囲気の映画です。最初登場する村の雰囲気はとても暗いのですが、最後の村の遠景の美しいこと。

数々のチョコレートやホット・チョコレートが登場して途中からチョコが食べたくてしかたがなくなります。チョコレートには人の心を溶かし幸せな気持ちをもたらす魔法が含まれているのだろうと思わせてくれます。

今回この記事を書くためにリンクを貼ってみて、監督がラッセ・ハルストレムだということに気付きました。彼は「ギルバート・グレイプ」の監督でもあります。全く異なる役柄でありながら、両方ともジョニー・デップの魅力が最大限引き出されたすてきな映画です。

ジョニー・デップといえば「ギルバート・グレイプ」のさわやかな彼も素敵でしたが、私はこの映画が彼が最も魅力的な映画だと思います。「パイレーツ・オブ・カリビアン」のキャプテン・スパロウほとクレージーではないけれど、世の中の規律からはずれたちょっと悪な感じが、とても魅力的。

彼と並べてしまうと、ジュリエット・ビノシュがちょっとおばさんぽく見えてしまうのが、この映画の難点ですね。美人ではありますが、腰回りがどっしりしているし、なんといっても顔が大きい。ジョニー・デップが顔が小さいだけに、二人の顔が近づくとジュリエット・ビノシュの顔の大きさが気になって、ジョニー・デップを堪能できない。組み合わせを考えるなり、せめて彼女をカメラの奥におくなり、工夫すべきしょう。

さて、この映画でもすばらしい存在感を見せているのがジュディ・デンチ。彼女は「恋におちたシェイクスピア」で出演時間が数分という短さでありながら、アカデミー助演女優賞を獲得しましたが、この映画でも味のあるすばらしい演技をしています。ジュディ・デンチ演じる偏屈なおばあさんと、彼女の超かたぶつの娘、そしてその息子(ジュディ・デンチ演じるおばあさんの孫)との関係も、この映画の見所の一つです。

ちょっと疲れて、ホット・チョコレートを飲んだり、おいしいチョコレートを食べてみたい気分になったとき、ぜひこの映画を見てみて下さい。

photo
ショコラ【廉価2500円版】
ジュリエット・ビノシュ ラッセ・ハルストレム ジョニー・デップ
角川エンタテインメント 2007-03-02

by G-Tools , 2007/07/01


スポンサーサイト

ゲド戦記原作者の映画評 

ゲド戦記原作者ル・グィンのウェブサイトを久しぶりに見てみたら、ジブリ映画の評が載っていました。

全体感としては、(予想通り)これは自分のアースシー世界の映画化ではないということです。ただ、歌やゲドの声(菅原文太)、一部の絵などには好意的なコメントをしています。

詳細はコメント原文をご覧頂き度いのですが、要約(一部引用)してご紹介させて頂きます。なお、< >内は本ブログ筆者のコメントです。

http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html

ジブリでの映画化承諾の経緯
要約:
「20年ほど前に宮崎駿氏から映画化の申し入れがあったが、そのときはアニメといえばディズニーのイメージしかなかったので、断った、しかし、6、7年前トトロを見て、永遠の宮崎駿ファンになった。ミヤザキはクロサワやフェリーニと同質の天才だと思う。邦訳者の清水真砂子氏を通じて、まだ映画化に興味があるか打診した。」
<きっかけがトトロとはやや意外。ナウシカかなと思っていたのですが。宮崎駿氏を黒沢明やフェリーニになぞらえている。絶賛ですね。>


映画化の条件について
要約:
「鈴木敏夫氏との手紙のやり取りの中で、世界中に知られた原作のストーリーを大きく変更すべきではないこと、そのかわり、宮崎監督が好きなように映画を作るため、原作には描かれていない15年間(『影との戦い』と『こわれた腕輪』の間)のゲドを描いてはどうかと提案した。(このような提案は他の映画製作者には絶対しない)。

その後、駿氏ではなく、吾朗氏が監督するときいて不安になったが、駿氏がすべてのプロセスに関与すると、ほとんど確約に近いコメントがあったので、その理解のもとで映画化に合意した。」


映画を見た感想
要約:
「ジブリのアレンジで8月6日に町の映画館を借り切って、友人たちやその子供たちと一緒に映画を鑑賞した。帰り際に吾朗氏が気に入ったかと尋ねたので、なかなか答えにくかったが、"Yes. It is not my book. It is your movie. It is a good movie." と答えた。」

「映画は、一貫性を欠き、行動や経験の裏づけのない『メッセージ』がいきなりセリフで表現されるので、やたらに説教くさくなっている。アレンの父殺しの動機、影なる自己の正体についても説得力がない。」 <ちなみに原作では、アレンの父殺しというエピソードはありません>

「また、映画では『悪』は都合よくクモという悪者に外部化され、その悪者を殺すことであらゆる問題が解決されてしまう。

現代のファンタジーでは(『ファンタジー』でも、政府によって作られた『幻想~ファンタジー)』でも)、人を殺すことが、常に、いわゆる善と悪の戦いの解決になっている。私の本はそういう戦いについて作られたものではないし、単純化された問いに対して単純な答えを提供するものでもない。」

QUOTE
But in the film, evil has been comfortably externalized in a villain, the wizard Kumo/Cob, who can simply be killed, thus solving all problems.

In modern fantasy (literary or governmental), killing people is the usual solution to the so-called war between good and evil. My books are not conceived in terms of such a war, and offer no simple answers to simplistic questions.

UNQUOTE

<私は、この部分が一番重要なメッセージだと思います。ゲド戦記がファンタジーとして優れているのはまさにこの点だと思いますし、これまでのジブリ映画の特徴もこれだったと思います。悪役を倒すことにすべてを単純化する二元論的発想は、危険だと思うのです。>

肌の色について
要約:
「原作では、あえてアースシーのほとんどの人種を有色人種として描いた。欧米のファンタジーでは、伝統的に主人公は白人で、黒い肌は悪を象徴している。敢えて逆に書くことで、作家は偏見を弱めることができるのだ。

アメリカのテレビ版は、アースシーを『白色化』してしまい、この点がどうしても許せなかった。日本のアニメの登場人物もわれわれの眼には白人と映るが、日本の観客にはそうでもないらしい。ゲドも私が思うよりは、日本人には暗い色の肌に見えていると言われた。少なくとも、登場人物の肌のトーンがバラエティに富んでいたのが救いである。」


<最後に原文真ん中あたりにあるセンテンスを引用します。>

QUOTE
Of course a movie shouldn't try to follow a novel exactly. ~中略~
But it is reasonable to expect some fidelity to the characters and general story in a film named for and said to be based on books that have been in print for 40 years. ~中略~ 

(日本・米国問わず、原作のつまみ食いで全く別の映画を作り上げる監督について)
I wonder at the disrespect shown not only to the books but to their readers.

<その通りですね。ジブリの将来のために、吾朗氏を起用したことは組織判断として正しいと思います。でも、そのデビューのために世界中で長年愛読されてきたゲド戦記の名を借用して別の物語にしてしまうのは、原作者にとっても読者にとっても失礼ではないでしょうか。ゲド戦記の映画化は、原作を心から愛していて、原作者も気に入っていた駿氏の花道とし、吾朗氏は別作品でデビューしたらよかったと思います。吾朗氏が父殺しを描きたかったのであれば、オリジナルか、そういう筋の原作を使うべきだったと思います。>


関連記事
ジブリ映画「ゲド戦記」について
「ゲド戦記」の世界地図
A Wizard of Earthsea (ゲド戦記第1巻「影との戦い」)
The Tombs of Atuan (ゲド戦記第2巻「こわれた腕輪」)
The Farthest Shore(ゲド戦記第3巻「さいはての島へ」)
Tehanu (ゲド戦記第4巻「帰還」
Tales from Earthsea (ゲド戦記第5巻 「ゲド戦記外伝」)



関連カテゴリー:| ファンタジー |


ゲド戦記外伝("Tales from Earthsea") 

ゲド戦記の最初の4巻(『影との戦い』、『こわれた腕輪』、『さいはての島へ』、『帰還』)を読んだ後に、ぜひこの『ゲド戦記外伝』読んでみて下さい。

もし『帰還』があまり好きになれなかったとしても、この巻は楽しめると思います。

本巻は5編の中篇/短編からなるアンソロジーです。舞台となる年代もいろいろで、アースシーの世界をより多角的に見ることができます。巻末に、作者ル・グィン自身によるアースシー世界の歴史・伝承等の解説があり、これもとても面白いです。

ではネタバレにならないように、ごく簡単に各編のご紹介をします。(なお、リンクしてあるアマゾンの本書のレビューにはネタバレが含まれていますのでご注意下さい)。

カワウソ(The Finder)
これだけで独立の巻としてもよいほど、読み応えがある中篇。
若い魔法使いカワウソの探索行です。ゲドよりかなり古い時代の物語。一人の若者を通じてアースシーの歴史を辿るようで、ぞくぞくします。


ダークローズとダイヤモンド(Darkrose and Diamond)
ある若者と娘の物語。アースシー・シリーズの中では異彩を放っています。

地の骨(The Bones of the Earth)
年老いた魔法使いと若い弟子の物語。アースシー・シリーズの最初から読んでくれば、この弟子が誰だかすぐに分かることと思います。

湿原で(On the High Marsh)
湿原で牛を飼う貧しい村に突然やってきた謎の男。男はいったい何者なのか。
ミステリーのようなおもしろさもあり、読後感もすっきりしています。

トンボ(Dragonfly)
アイリアンという女性の物語。次の『アースシーの風』(The Other Wind)への架け橋となる話です。


『帰還』の紹介記事で書きましたが、アースシー・シリーズは最初の三巻が「成長」の物語であるのに対し、『帰還』は、男と女、生と死といったテーマに、重心がシフトしてきていると書きました。この『ゲド戦記外伝』は、最初の三部作と、『帰還』・『アースシーの風』の両方の要素がバランスよく入っていて、まさに「架け橋」となっていると思います。

(なお、日本語版は、『ゲド戦記外伝』の方が『アースシーの風』の後に出版されましたが、実際に執筆されたのは、『ゲド戦記外伝』の方が先です)。

これを読んでから『アースシーの風』を読む方が、『アースシーの風』が楽しめると思います。

関連記事
ジブリ映画「ゲド戦記」について
「ゲド戦記」の世界地図
A Wizard of Earthsea (ゲド戦記第1巻「影との戦い」)
The Tombs of Atuan (ゲド戦記第2巻「こわれた腕輪」)
The Farthest Shore(ゲド戦記第3巻「さいはての島へ」)
Tehanu (ゲド戦記第4巻「帰還」


photo
Tales from Earthsea (Earthsea#5)
Ursula K. Le Guin
Ace Books 2003-10-28

by G-Tools , 2006/08/13




photo
ゲド戦記外伝
アーシュラ・K・ル=グウィン 清水 真砂子
岩波書店 2004-05-28

by G-Tools , 2006/08/13





関連カテゴリー:| ファンタジー |
紹介媒体: | 洋書 | 翻訳版 |  → 「ブログ内検索」で同じ媒体を紹介している記事を探す 

ゲド戦記"Tehanu"(『帰還』) 

「ゲド戦記」の映画の評判は、あまり芳しくないようですね。映画はみてないですが、原作ファン・ジブリファンとしては残念。原作と異なるストーリーやテーマを映画にしたいなら、有名な原作を部分的に借用しないで、オリジナル・ストーリーで勝負してほしいと思います。

映画を楽しめた方も楽しめなかった方も、もし原作を未読でしたら、ぜひ読んでみて下さい。特に最初の三巻を。

ゲド戦記最初の三部作のご紹介はこちらからどうぞ。
A Wizard of Earthsea (ゲド戦記第1巻「影との戦い」)
The Tombs of Atuan (ゲド戦記第2巻「こわれた腕輪」)
The Farthest Shore(ゲド戦記第3巻「さいはての島へ」)

さて、本日の記事は、その次の三巻、特に"Tehanu" (『帰還』)についてです。

"Tehanu" Story
"Tehanu"は、アチュアンの墓地から脱出した後ゴントでオジオンのもとに身を寄せ、今は中年の農婦になっているテナーと、虐待された後テナーに助けられた少女テルー、そして「さいはての島で」の終わりで大賢人としての力を出し切り、竜のカレシンにゴントに送りとどけられたゲドの物語です。

コメント
最初の三部作から17年の時を経て書かれた後半の三巻は、最初の三部作とはかなり異なります。詳細は後述しますが、後半三巻、特に"Tehanu"は明らかに大人向け、もっと言えば年齢の高い大人向けであると言えます。最初の三巻も子供にはやや難しいと思いますが、"Tehanu"は子供や若者が読んでも楽しめないでしょう。では「年齢の高い」大人はどうかというと、これも好き嫌いは分かれると思います。

以前の記事に書いた通り、アースシー世界の一つの重要なテーマは、「この世が一連の対(つい)―光と影、生と死、男と女など―から成り立っており、対の両方が一緒になって初めてこの世の均衡がもたらされること」です。最初の三部作が、このうち「光と影」を主眼に、「生と死」も含めて描かれているとすれば、後半の三作を貫くテーマは「男と女」「偉業と日常のなりわい」の対比であると言えましょう。また、「生と死」は、最初の三部作よりもさらに重みをまして描かれています。

"Tehanu"は、最初の三部作のファンの多くに困惑をもって迎えられました。ル・グィンのウエブサイトに掲載されている評論によれば、ル・グィンの言として"She recalls that in the beginning it attracted many angry reactions from men who declared that she had made Ged a weak character. He was not doing male things any more."とあります。また同じ評論に、"Tehanu"は多くの読者に"feminist statement"として受けとめられ、ル・グィン自身もそう認めたとあります。("Two Trilogies and a Mystery: Speculations on the Earthsea Stories" by Margaret Mahy
)

テーマがかなりシフトしたのは、前の三部作との間の17年間という年月、そしてル・グィン自身の年齢にもよるでしょう。Tehanuは、「偉業」がふり返るべき過去のものになってきており、人生の前半とは異なる人生を歩みはじめた人、人生の終盤が見えてきて、「死」がより現実のものとして近づいてきた人の物語だと思うのです。これは前半の三巻が「成長」の物語であったのと対照的です。冒頭に、年齢の高い大人向けと書いたのはそういう意味です。

私自身は、この本の設定自体はおもしろいと思いましたが、描き方に不満が残りました。(この先はネタバレを含みます)。




続きを読む

ゲド戦記の世界地図 

ゲド戦記のアースシーの世界は、作者ル・グィン自身が作成した綿密な地図が、各巻についています。

作者のウェブサイト最初のページもその地図になっています。
http://www.ursulakleguin.com/

ウエブサイトの地図は解像度が低いので、見づらいですが、真ん中にある大きな島がHavnorです。

Havnorから南に下ったところにある小さな島が、学院のあるRoke (やや大き目のWathort島の北です)。

第2巻「こわれた腕輪」の舞台であるアチュアンの墓地は、地図の右上にあるThe Kargad Landsにあります。

The Kargad Landsのすぐ西にあるのが、ゲドの生まれ故郷であるGontです。

この地図を見ただけでも、作者がいかに細部にまでこだわってこの世界を作りあげたかが分かります。地図の精密さという点でいえば、三大ファンタジー(ロード・オブ・ザ・リング、ゲド戦記、ナルニア)の中で、これが一番ではないでしょうか。トールキンもびっくりの細かさです。

この世界の人々の特徴も、作者がこだわった部分です。アースシーの多くの人は黒い(赤黒い)肌をしています。ゲド自身もそうです。また、いわゆる白人的な特徴を持つ人は、カルガド帝国の人々だけのようです。このことは、このシリーズが書かれた1960年代には画期的なことでした。それまでのファンタジーは白人(の子供たち)が主人公だったからです。

それでも、当時欧州で出版されたバージョンの表紙の絵が、明らかに白人としてゲドを描いていて、作者ル・グィンは唖然としたと書いています。それくらい、こうしたことは作者が大切に思っていることなのです。

ちなみに、ゲドは肌は黒くひげは生やしていません。テナーはカルガド人なので肌は白いのですが、髪は真っ黒です。これは第2巻の冒頭で、テナーのお母さんの金髪が暖炉の火に映えるイメージと、それと対比したテナーの黒髪が美しい絵のように描かれ鮮烈な印象を与えています。


作者のウェブサイトに話を戻すと、Frequently Asked Questionsや、作品に関する論評などがいろいろ掲載されていて読みでがあります。(ちなみに、作者にやたらにemailを送ったり、郵送で自分の原稿を送りつけたりしないでほしいと書いてあります。非常識なファンに長年悩まされてきたものと見えます。)

作者はジブリの映画についてどう思っているのかな、と思って見てみたのですが、シノプシス(台本の要約)は掲載されています。ただ、映画への論評は映画を見るまでしないとあります。
http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiSynopsis.html

映画化については、何十年も前に宮崎駿氏がル・グィンに申し入れたが、そのときは拒否され、今回は作者の方からジブリに映画化の話があったと、うわさにきいています。ただ、ジブリの内部事情で、監督が宮崎駿氏ではなく息子の吾郎氏になってしまったのは、ル・グィンにとっても駿氏にとっても、驚きの展開だったかもしれません。駿氏は、枕元にゲド戦記を置いて寝るほどの大ファンだったそうで、吾郎氏は明らかにそれほど読み込んでいないですから。

映画はまだ見ていないので何ともいえないですが、一般論として、映画化はできるだけ原作に忠実にしてもらいたいと思いますし、原作を本当に大事に思う人に映画化してもらいたいと思うのです。


本ブログ内の「ゲド戦記」関連記事はこちら。
ジブリ映画「ゲド戦記」について
A Wizard of Earthsea (ゲド戦記第1巻「影との戦い」)
The Tombs of Atuan (ゲド戦記第2巻「こわれた腕輪」)
The Farthest Shore(ゲド戦記第3巻「さいはての島へ」)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。